■自己紹介

職歴②:外食業界で悪戦苦闘「キャリアはラッキーパンチがクリーンヒット」「パフォーマンスは知らぬが仏とダイバーシティ」

■自己紹介
前半戦:キャリアは
「ラッキーパンチがクリーンヒット」
  • 2006年4月
    まさかのアルバイトスタート
    驚き
    驚き

    前の年の11月に面接を受け入社の承諾を得たものの、その後の連絡がなく、3月末に連絡を入れたところ「忘れてた、とりあえずアルバイトから始めてほしい」という事で28歳アルバイトスタート

    面接
    面接

    改めて現場アルバイト採用面接。年下の店長に「その歳でアルバイト応募してて大丈夫ですか?将来の事考えてますか?」と言われる始末。本部との連絡がなかった模様…

    皿洗い
    皿洗い

    前途多難な外食業界未経験での皿洗スタート、業績不振&人員不足の店舗だったため、ほぼ休みなしの朝から晩まで勤務が半年ほど続く

    無礼な<br>態度…
    無礼な
    態度…

    たまたま店舗視察で来店した当時の副社長に「君は社員希望なんだってね。うちで何がしたいの?」と聞かれ、「この会社を変革します!」と言ったところ「生意気なこと言うね」と怒られた?でも気に入られた!?

  • 2006年6月
    やっと社員に
    食事会
    食事会

    入社2カ月で正式に社員採用。社長から「今度飲みにでも行こう」というリップサービス、翌日にアポの電話を入れて「本当にア電話する人も少ないし、翌日かけるとはね。じゃ今日は空いてるの?」という事で社長、総務部長と3人でその日に食事。

    「何が食べたい?」と聞かれ「普段は肉より魚が好きで」、「焼肉屋に転職して社長と初めての会食で肉より魚って普通言わないよね」と呆れられ、「じゃ~間をとって焼き鳥にしよう」というだいぶ肉寄りの落とし所で焼鳥屋に。

    自分がやりたい人事の仕事について言いたい事をマシンガントークで伝えた。後日談で社長からは「危ない子な入ってきたな…」と思ったとの事。最後に「どんなにやりたい事があるにせよ、まずは1年ちゃんと現場で働いた後にもう一度話を聞くよ」と釘を刺される

  • 2006年10月
    初めての店舗異動
    バイク<br>事故
    バイク
    事故

    スクーターで通勤。夜中の2時に疲れもあって蛇行運転、後ろからくる車に当て逃げされ転倒、血だらけ、シャワーで洗い流し、ありったけの絆創膏を貼って、2~3日現場で働いていたら腕が尋常じゃないぐらい腫れてきたので午後休をもらい病院へ。右腕全体が重度の火傷と診断、毎日点滴と消毒のため1週間通院を指示され、「仕事は行ってもいいですよね?」と聞くと先生は「腕を切断する事になってもいいなら」と”優しく”諭され断念

    高級店
    高級店

    復帰早々、店舗異動の辞令。当時単価が15,000円を超えるグループ内最上位ランクの業態店舗に。上司からは「うちは社員は若いのが多くて、君は見た目と年齢がそれっぽいから」と異動理由を聞かされ悶々

    手書きの<br>企画書
    手書きの
    企画書

    異動後の店舗はディナーのみの営業だったため、午前中の空いた時間を利用して、そもそも希望である「総務部への転籍」や「人が育つ環境作り」についての想いやチャレンジした事柄をまとめ、この時期から1年の間に4通の手書きの企画書を社長宛に送る

  • 2007年4月
    急転直下
    人事担当登場
    人事担当登場

    店舗で開店準備をしていたところ来客が。総務部長と共に「4月付けで総務部の人事担当として働く事になった者です」という中途採用の方が店舗への挨拶回り。

    かろうじて態度には出さないように頑張ったけど、内心は(人事担当?さんざん総務部で人事の仕事がしたいと提案してきたのに、何も説明されることなく、他の人事担当者が採用され、その挨拶を開店準備をしているTシャツ一枚汗だくの状態で聞かされるとは…)

    落ち込む
    落ち込む

    ショックが大き過ぎて、それを見かねたミャンマー人の店長が「今日はもう帰ってもいいよ」「えっ!でもシフトの人数ギリギリじゃないですか…」「それでも君の頑張りを側で見てて、そのショックは痛いほどよくわかるから」と優しい言葉

    驚き2
    驚き2

    翌日営業本部長から「午前中事務所に来てほしい」と電話をもらい、「昨日自己都合でシフトに穴開けたことを怒られるのかな…」「さすが本部長、どんだけ情報早いんだよ…」と思いながら事務所へ

    そこでの伝えられたのは「社長の指示で来期からユニットマネージャーに昇進させることになった。厨房経験もなく店長やチーフといった役職飛び越えての昇進だからかなりベテラン社員からの風当たりも強いと思うが覚悟するように」というもの。

    昇進の理由は「数字に明るく、今までにはないキャラだから」というもの

  • 2007年7月
    ユニットマネージャー
    1/4
    1/4

    当時10あったユニットの中でも、全社売上の1/4を占める規模で言えば最大ユニットを担当。今まで一度も部下を持ったことがなかったのに、いきなりアルバイトスタッフを含めると約100名ほどの大所帯、戸惑うばかり

    会議の<br>在り方
    会議の
    在り方

    「店長ミーティングは営業終了後の深夜にするもの」という営業部の風潮がある中で、「太陽の光を浴びながら会議をしてこそポジティブな意見が出る」といって昼間にミーティングを実施、ただ他のユニットには波及せず、社内でも浮いた存在に

    悔しい<br>思い出
    悔しい
    思い出

    ある意味”鳴り物入り”でユニットマネジャーになったものの現実はそんなに甘くなく、在任期間の2年間で業績面での大きな実績はまったく残せなかった悔しい思い出

    ボウリング
    ボウリング

    何となく思い出として残っているのは会社から予算を勝ち取ってユニット内のアルバイトスタッフも含めた100人規模でお台場にてボウリング大会を主催したことぐらい

  • 2008年7月
    人材開発室を立上げ
    新設部署<br>立上げ
    新設部署
    立上げ

    4回にわたる手書きの手紙攻勢のかいもあって総務部への転籍は叶わなかったけど、営業本部内に「人材開発室」という新設部署を立上げ、部内の人事に関わる仕事をゼロイチで作っていく仕事をできる事に。ただメンバーは自分一人

    学校
    学校

    最初の仕事は社内教育機関を立上げ。初期は月に1回、①焼肉食文化を学ぶ座学スタイルで。後に②調理、③接遇、④マネジメントの3コースを追加。各コースを店長やチーフの昇進条件や人事評価にも紐づけて運営

    新入社員
    新入社員

    当時は大卒を新卒採用しだした4年目ぐらい。まだ入社後の研修が未整備で、入社後すぐに現場配属でOJT、あとは店長任せ、「辞めたい」と言われたら飲みに誘い悩みを聞くスタイル。

    4年をかけて、入社前研修、社外でのチームビルディング研修、社会人マナー研修、配属先店長とのマッチングや配属も定期的にOJTの成果をフォローアップする体制を整えたり、新入社員の発想が店内で埋もれないよう提案を吸い上げる仕組みを導入

    退職0
    退職0

    新卒担当間もないころは25名採用で1年以内に80%が退職を経験、毎年新たなチャレンジで改善に取組み、4年後に35名入社で1年以内の退職0人を達成

    評価制度
    評価制度

    当時は店長になると固定給残業なしの給与体系、現場で不満が渦巻くが、その上の上司も同じような条件のため不満が堂々巡り。

    そんな中、店舗業績と連動してボーナスが支給される店長評価制度を企画して導入、多くの賛否が巻き起こり、それをキッカケに退職する店長も出るほど。

    現場に与えた影響は大きく、多くの批判にもさらされながら、店長宛に送る初めての結果通知書を、真夜中事務所で一人、封入作業の手は震え目には涙。怖かったな~

後半戦:パフォーマンスは
「知らぬが仏とダイバーシティ」
  • 2010年7月
    営業戦略室の室長へ
    チームで仕事
    チームで仕事

    当時の営業本部長がセントラルキッチンへ担当替えがあり、空席になった営業本部を人材開発室が吸収し営業戦略室への名称変更。

    スタンドプレーで自由に仕事をしていた人材開発室とは違い、営業戦略室はSV5人、AM 5人と自分の計11人。

    SV5人は現場から新規スカウト、自分が誘っても承諾してくれなさそうな”現場を愛するやり手ベテラン社員”は社長の威を借りながらスカウト

    AMの5人は全体会議の場で人気投票を実施

    基準作り
    基準作り

    料理も接客もほぼ店舗裁量、首都圏で店舗数も30を超えたころ、ブランド認知も広がり、店舗によるQSCのバラツキを指摘するお客様からのクレーム増加傾向に。

    QSCのベースラインを全店統一するためのスタンダードプロジェクトを副社長と共に主幹、社長以下ほぼすべての経営幹部が参加するキックオフミーティングを3泊4日合宿スタイルで企画実行

    中期経営計画
    中期経営計画

    社長、副社長、管理本部長、監査役と私の5人で中期経営計画は話し合う。リーマンショック以降は売上が下降傾向、併せて前年は東日本大震災、ユッケ食中毒事件、放射能汚染牛問題など厳しい外部環境。現状打開にはとびぬけた目標に取組む事が必要として、創業20周年まで残り4年で年商を2倍を提案

    評価表
    評価表

    店舗QSCの要件を定義し、ベースラインを規格化したことで、店長裁量だったアルバイトスタッフの教育と評価を仕組化できるようになり、そのタイミングでキャリアパスプランを企画導入

    5人のSV
    5人のSV

    自由裁量こそが現場のやり甲斐と言わんばかりの風土であった当時、しかもちょっと前までその現場の最前線にいたスーパーバイザー(SV)5人。

    実質的に基準作りの実務を担当した彼ら5人こそがヒーロー

    テレビ<br>放送
    テレビ
    放送

    当時人気のあったランキングを付ける番組からオファーをいただき、やらせなしなので吉と出るか凶と出るかが判断できず、受けるかどうかは会議で賛否両論。ちょうど店舗のQSCに基準を作り「美味しさ」を定義して全店で取組んでいた時期でもあったので「どんな評価になろうが自信もって行こう!」という事でオファーを受ける事に。

    結果としては「番組史上最高得点」の評価を受け、売上快進撃のキッカケに

  • 2012年7月
    実態に合わせて営業本部へ名称変更
    ウォーキング
    ウォーキング

    営業本部に名称変更を機に新たなメンバー選考を兼ねて、鎌倉から東京、最後に皇居を一周して八丁堀の事務所という60kmウォーキングを開催。立派なパワハラですね…。みんなついてきてくれて感謝!

    その中でも、ほぼ飲食未経験ながらもスピード昇進で店長なり立てのスタッフが、ギックリ腰からの病み上り状態で50kmを歩いたを営業本部に召集

    開閉店
    開閉店

    在任中は33店舗の新規オープン、9店舗のリニューアル、9店舗の閉店、3店舗の業態変更を経験

    労働環境改善
    労働環境改善

    自転車に例えるなら、店舗の営業品質向上が前輪で、現場スタッフの労働環境改善こそが後輪。

    労働環境改善はまず残業時間の適正化が先決。ただ飲食業で働くスタッフにとって残業代は大切な生活の糧。

    現場の意見を聞くため109人のスタッフと、それぞれの店舗で、一人1時間程度のヒアリングを、1ヵ月間かけて実施。

    不安を聴きながらも、①店舗の品質基準を統一する事で業務の属人性を薄め、②残業0を掲げながら「休めないが当たり前」の意識を改革し、③業績連動型の報酬制度で給料も上げていくという生産性向上の三位一体改革を説明して回った

    5人のAM
    5人のAM

    残業は無制限に承認、というかそもそも残業に申請と承認という考え方がない状態。店長も固定給から残業がちゃんと計算されるように給与制度が改定された時期。

    こんな背景で約100人の現場社員から上がってくる残業申請を受けながら、残業0への意識変革と併せて業務効率の改善指導にあたったのがエリアマネージャー(AM)の5人。

    矢面に立たされ、経営陣と現場の間に挟まりながらも、現場スタッフから人望も人気もあった彼らはさすが叩き上げ

    給料UP
    給料UP

    一連の取組は大きな成果へとつながる。

    残業時間は3年の取組で月平均85時間が25時間に短縮&月の休日取得は7.4日となりほぼ週休2日を達成、残業代が減ったのに給与制度改革と店舗業績拡大で業績連動型賞与により現場スタッフの年収は9.5%UPを実現

  • 2013年7月
    営業本部組織改革
    女性登用
    女性登用

    営業戦略室から数えて4年越しで自分が描く一つの理想形でもある組織メンバー構成にたどり着く。

    営業本部12名の年齢・性別・国籍の割合が現場スタッフ200名弱とほぼ一致する形を作れた。人選には紆余曲折や反対もある中で、それでも「この人なら」というメンバーを、現場と同じ構成で揃えられたのは嬉しかった。営業部の本部スタッフとして初めて女性を登用3名

  • 2014年7月
    取締役兼営業本部長に就任
    ブランドロゴリニューアル
    ブランドロゴリニューアル

    数千万と言う費用をかけて、半年以上もスタッフインタビューを行いながら、協議を重ね、ブランドロゴをリニューアルするプロジェクトを主幹。最後にデザイナーから提案されたデザイン案の中から一つを選ぶ時の緊張感は今でも忘れられない

  • 2015年1月
    20周年プロジェクトチーム
    PJ<br>メンバー
    PJ
    メンバー

    20周年アニバーサリーイヤーは年商2倍という目標期日まで残り1年半というタイミングで営業本部を解体し、①イベントプロモーション、②アニバーサリーメニュー開発、③新店立上げという3つの課題ごとのプロジェクト組織を立上げ。本部も現場もごちゃまぜ自薦と他薦でメンバーを組織

    毎年12月
    毎年12月

    4年にわたり毎年最繁忙期の12月は毎日店舗から上がってくる日報を読み、お客様との大切な思い出やスタッフ同士の感動エピソードなんかを添えながら店舗毎の歴代日売りや月売り記録更新を全店メールで共有。

    感動エピソードは年明けの1月に営業部会議等で映像にまとめて上映

    よろこび
    よろこび

    年商2倍を見事達成

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