■自己紹介

職歴①:会計事務所で下積み

■自己紹介
外食業界に入る前
  • 2000年4月
    大学卒業後は会計事務所で下積み
    無我夢中
    無我夢中

    領収書や請求書など原始資料をお預かりして記帳代行業務から決算書の作成および法人税や消費税等の税務申告のお手伝いを経験

    祖母
    祖母

    祖母の教え「苦労は買ってでもしなさい」「石の上にも三年」、就職が東京で決まった時も三年は何があっても岐阜には帰る事を考えず頑張るんだよと励まされる

    倉庫住まい
    倉庫住まい

    地方出身でお金もなく、会計事務所のクライアント企業が所有していたプレハブ倉庫の2階にある応接スペースを間借りして、風呂なし、キッチンなし(給湯室あり)、ベットも布団もなし(応接セットのソファーあり)の20畳一間という無駄に広い間取りで社会人生活がスタート。

  • 2003年中旬
    持て余す向上心
    勉強中?
    勉強中?

    社会人も3年目に入り、少し自分のペースで仕事ができるようになった頃、同級生の活躍の噂話をもチラホラ聞こえてきて、なんとなく焦りもあった時期。勉強するなら職業柄、税理士や会計士、簿記2級は持っているので1級を目指すべきだけど、国家試験は難しそうだから、ファイナンシャルプランナーとシステムアドミニストレータという横文字で見栄えが良くて難易度がすごく高いわけではない資格を取得

  • 2004年7月
    将来への漠然とした不安
    富士山
    富士山

    資格の勉強を通じて「やっぱり自分はこの仕事じゃないな…」という思いが沸々と。本当に自分は何がしたいかを考えだした時期。何から始めればいいかわからず、とりあえず丸坊主にして富士山に登った26歳の夏。富士吉田駅から途中に山小屋で仮眠をとり、頂上で御来光

    向き合う
    向き合う

    なんとなく転職を意識し始め、自分と向き合う日々。見えた一つの方向性が「頭と体と心」をバランスよく使って仕事がしたいという想い

    母の影響
    母の影響

    小学校の教師をしていた母の影響で「人材育成」や「教育」というジャンルに興味を持ち始めるも、高校一年の時に「将来教師になろうかな」と言ったら「あなたは短気だから向いてません」と言われたのを思い出し、「人を育てるのではなく、人が育つ環境作り」を仕事にしたいと思う

  • 2005年8月
    散々な転職活動
    ひらめき
    ひらめき

    「人が育つ環境作りのプロになろう!」「それって人事戦略コンサルタントみたいなものかな!?」「何かの学校を作るって目標はどうだろう!」「まずは人事の仕事何も知らないから、とりあえずは経理や財務じゃなくて人事部がある事業会社に転職しよう!」という安易な発想で転職活動がスタート

    落ち込む
    落ち込む

    安易な発想は、やっぱり相応の結果につながる。面接では「あなたを人事で採用しなきゃいけない意味がわからない」といったコメント多数

  • 2005年10月
    ひょんな出会いから
    交流会で
    交流会で

    会計事務所が主催する異業種交流会の場で、成長著しい外食企業の経理で働いている人と出会う。人事の仕事をしたいとか散々な転職活動の話しをしていたら「転職活動が上手く行ってないならうちの会社に来ればどうですか?人事部はありませんけど」という軽い会話を交わした記憶が

    ひらめき2
    ひらめき2

    「外食企業なら頭も体も心もバランスよく使って仕事できそう!」「人事部ある会社に転職できないなら、人事部ない会社で自分が作っちゃえばいいんじゃないか!?」というまたまた安易な発想…。しかし前回と違い今回は割り切りの良さが奏功する事に

    即断即決
    即断即決

    次の日には面接を受ける事を決めた。数日後に異業種交流会で知り合った経理マンに「面接受けることにしましたよ!」と伝えると予想通り「えっ…軽い冗談のつもりだったんですけど。」というリアクション

  • 2005年11月
    転職活動から卒業
    スタート
    スタート

    面接では「総務は人が足りてるので、まずは現場から」という話にはなったけど、新たなスタートが切れるというワクワク感で承諾。年が明けた2006年4月から社員として働く事に決まった!…………のはずが

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